意識のハードプロブレムは、主観ってなんだよ、ってことに置き換えられるのかもしれない。
そもそも、この板のお題は、「意識のハードプロブレム」ではなく、
「意識のハードプロブレムの答え」である。ときどき勘違いしてるひとがでてくるようだが。

人工意識のためには人工主観から考えねばならない、のかもしれないw
主観を体系外に追いやったとき客観になる。
レーモン・クノーの『文体練習』において、主観はどこにあるのか、と考えてみたい。
が、フランス語版ではなく、日本語翻訳版がそこまで対応できているかどうかは不明だ。