https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/80271/1bf806b2700e082e2a97786aafbda7a5?frame_id=631544

ベネター自身は功利主義の立場をとらないとしているから、あくまで、

�@苦の存在は悪い
�A快の存在は良い
�B苦の不在は良い
�C快の不在は悪くない(こうした不在がその人にとって剥奪を意味する人がいない場合に限る)

�Bと�Cの非対称性から、「そもそも誕生(存在)しない方がいい」とするだけの話ですよね。

ベネターが功利主義への言及を避けるのは簡単に成り立たなくなるからでしょう。
快、不快の要素に重み係数を付けたら、不快が一つあるだけで全部が台無しになるとは言えませんからね。
だからベネターの理論の前では、個々の快、不快の事象は取り上げられてないんじゃないか?統計的に苦痛の例を幾ら取り上げようとも、話の核が非対称性なら、統計や事例ベネター自身の説を全く補強しないのではないですか?むしろ科学的な権威付けでしかなく、読者の感情に訴えているだけではないか?