べネターの考えでは、「最初から生まれない」という選択と、
「生まれた後、この人生は苦痛、不幸なので終わらせる」と
いう選択との間には、その判断において許容できる閾値が
大きく異なるというようなことを述べている。

その具体例としてべネターは、たとえば、手足のない者がいても、それは、
「その人生は苦痛、不幸なので終わらせた方がよい」という判断に多くの人々は
たいてい同意しないのに対して、手足のない子を誕生させるような行為は避ける
べきだ、という選択や判断には多くの人は同意しやすいとしている。実際、
出生前診断などで胎児の健康状態や障害の有無を知り、こうした選択が可能になる

つまり、誕生前と誕生後の間には、同じ手足のないという障害に対して、
その判断や同意に温度差がある、ということを述べている。

すなわち、最初から不幸や手足がないなどの障害がある者を
この世に存在させない(生まない)ようにすることには同意できても、実際に手足がなく
存在している子供や大人に、それは大きな不幸だからその人生を終わらせろ、という風には
多くの人は思わないということを述べている。

そのためべネターは、最初から生まないという選択の方が敷居が低い、人々がわりと
たやすくできる選択や判断だとしている。だが、実際に生まれてしまうと、そこから、
たとえ安楽死のような制度があったとしても、やはり、死を促すような行為は安直に
賛同しづらいというか、最初から生まれないことに比べると、それは敷居が高い
行為になる、と述べている。