で、べネター風の反出生主義に従えば、とにかく苦痛を最小化するには存在しないのが一番なんですから、妊娠中絶は大いに推奨されることになるはずです(残念ながら実際にはなかなかそうならないんですがw)。
しかし、これは向きが反対なだけで、中絶反対派と同じ構造の議論です。ですから、同じように政治的には無力です(というか、真面目な政治的勢力としてはほぼ存在しません)。

理論的にはどうかというと「生命は客観的な価値(善)である」も、「幸福は客観的な善である」も、「苦痛は客観的な悪である」も、全て、何一つ根拠がありません。
確かなのは、「人間は誰でも主観的に自分の幸福を最大化し、自分の不幸を最小化しようとする」という事実だけです。後者の事実から前者の命題を導くことは全くできないのに、前者を前提にした議論をいくら展開したところで、あまり賛成を得られないのは、当然なのです。すべての個人は、後者の事実に従って、前者の命題を「制度」として利用しているだけなんですから。ざっくり言えば、子供を産みたければ(産む必要があれば)産むし、産みたくなければ(産む必要がなければ)産まない、という、ただそれだけです。それで政治的にも社会的にも自分に何も不都合がない以上、この制度を変える理由が特に誰にもないわけです。