ところで疑う力とは、一体何か?

それは、表現されていることと反対のことに焦点を当ててみることで
真実を洞察するということである。たとえば、

利口ぶっている奴がいたら、こいつは、本当は馬鹿なのではないか?と
疑ってみる

倫理や正義を訴える人間には、実は不倫や不正、やましさがあるのではないか?と
疑ってみる

「安全、安心」の連呼があったら、非常に危険な末期の状態にあるのではと
疑ってみる

「ワクチン打て打て」とメディアが言うなら「ワクチンは打つべきでないな」
とその危険性を疑ってみる。

ネットでリーマンや女をアピールしているのを見かけたら、無職やネカマでは
ないかと最初に疑ってみる

Jリベという独自用語を使う者には、言語・哲学的センスがないのではと疑ってみる

「明かりが見えてきている」と首相が言うのであれば、「まだまだ、暗夜は続く」
と疑ってみる。

このように政治、社会、世界、メディア、他人、自分を疑うことでこそ、真実性が
浮き上がってくる。日本人が回復すべきなのは、盲目的に信じる力でなく、
理性的に疑う力である。それが変革への契機となる。