「主体」は単なる「核」としての基底であり、
「主観世界」は「主観的客体としての主体」の集まりである。
単純に考えれば、「主観世界」あるいは「主体」は、「集合」である。
ただし、外延ではなく、内包による「集合」であるため、
うっかりするとパラドックスに見舞われるw
「意識」は常に「パラドックス」と闘うものであり、
「意識」そのものが「防衛機制」のトレースであろう。

そう考えるならば、「脳」は「集合論的処理装置」であり、
「意識」は「(集合論的)パラドックス」と闘った履歴である。
「防衛機制」のログである、ともいえる。
loggerとしての「意識」はlog4jと同様に、極めて危険なバグを内在させており、
外部のclassをloadして実行可能なのだw
それは「洗脳」とも呼ばれる。
自発的な「洗脳」は、狂気でもある。