>>851
率直なご意見ありがとうございます。
お若い方でしょうか、私としては「特徴的」という表現が意外でした。
じつは「共同幻想」というのは吉本隆明の『共同幻想論』を意識したもので
むしろ今更のカビが生えた概念だと思っていました。
あるいは隔世の感というやつでしょうか、恐縮です
(851さんの意図はそういうことではないかもしれませんけど)。

>思い描いた想定を真に思い込んでしまうのが幻想
私は度々「冷蔵庫の中の牛乳」を引き合いに出して物質を考察してきました。
「牛乳(物質)」というのは冷蔵庫の中の灯りのようなもので、
灯りは扉が閉まっているときは本当は消えているにもかかわらず
引き続きずっと灯りっぱなしのような錯覚がありますが、
同様に牛乳も扉を閉めてからもそこに存在し続けるような感覚は錯覚
というのが私の考え方です(私の完全オリジナルではありませんけど)。
たとえば牛乳の味は牛乳自体にあるのではなく、舌の上でさえなく、
意識の中だけにある、
つまり冷蔵庫の中(意識の外)には無いもののように考えられます。
冷蔵庫の中にある気がするのは気のせいです。
となると牛乳の味とはまさに851さんが言うような「幻想」です。
また、そのようなものは、もし他者のものと厳密に比較することができる
のであれば、80億人が全員微妙に認識がことなることにもなるでしょう。
このとき誰も「本当の姿」を認識している人はいないというのも
それを幻想とする理由です。

さて、しかしそうは言ってもやっぱり扉が閉まっている冷蔵庫の中には
扉を開けたとき私たちが牛乳として認識する「何か」が入っているはずです。
それはどのようなものでしょうか、
その答えは意識のハードプロブレムの答えとつながるものであろう
と私は考えます。