相互性の原理は倫理たりえるか。「なぜ人を殺してはいけないのか?」

>この問いに不穏さを感じ取らずに、単純素朴に、そして理にのみ忠実に、答える方途を考えてみよう。相互性の原理に訴える途しかないー きみ自身やきみが愛する人が殺される場合を考えてみるべきだ。 それが嫌なら、自分が殺す場合も同じことではないか、と。だが、この原理は、それ自体が道徳的原理であるがゆえに、究極的な説得力を持たない。
二つの応答の可能性が考えられる。一つは「私には愛する人などいないし、自分自身もいつ死んでもかまわないと思っている」という応答である。この応答に強い説得力があるのは、自分がいつ死んでもよいと思っている者に対して、いかなる倫理も無力であることを、それが教えてくれるからである。何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではないー それが ニーチェ の主張である。 だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということ を、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとつ ては、あらゆる倫理は空しい。この優先順位を逆転させることはできない。<
(永井均『これがニーチェだ』P.22-23より引用)