私の考え方は単純なもののつもりです。
これは今までにも度々言ってきたことですけど、
つまり「物質」は「霊魂」のように、やがて虚構として理解されるのが
普通になることもあり得るのではないか、ということです。

例えば昔の人はある種の病状を「狐憑き」として理解して、
それで除霊か何かをすると実際に治ったりしていたようです。
しかし我々からすれば普通その世界観はちょっと違うかんじがします。
近代は科学が「物質」の存在を前提にして様々な成果を挙げ
実際に私たちの生活は豊かになりました。
しかし少なくとも先端物理では普通の人が普通にイメージする物質とは
かけ離れたものを「素粒子」として想定しています。
このときじつは「素粒子」というのがどのようなものなのか
イメージしづらいものになっています。
例えば「素粒子」には構造的に映像情報がありえません。
科学雑誌にあるようなイラストはイメージに過ぎないもの(近似-虚構)です。
ここで私には「実体(実際に存在しているもの)」とは
そもそもどのようなものなのか、という問題に行き当たるように思えます。

一方で近代哲学は「世界」を理解するものではなく
解釈するものとして位置づけてきた、と私は理解しています。
少なくとも普通は理性には「真理」を理解することはできないように思えます。
すると存在論で先ず哲学風に少なくとも言えるのが「我思う故に我在り」で、
それが正しいかどうかはともかくとしても
とにかく何かが存在しているようなかんじがあります。
そこで私は唯心論-汎心論的に世界を想定しておくのが
とりあえず何かと整合するのではないかと考える、ということです。

あるいは唯物論なら、とにかく二元論でないのならアリだとは考えます。
要は整合する(ような気がする)かどうかの問題だと思います。