哲学の敵の一つは政治なのは今さらなくらい有名だが
もう一つ国語も敵対しやすいのだと、この年になって気が付く

哲学の読解は多面性を要求されるが、
国語の読解は限定性を要求されるからだ
現国野郎どもも哲学を支配下に起きたがっている