>>163
私は「見える」ではない「見る」を問題にしています。
これは勿論「見える」と「見る」とが別のことであることを前提にしています。
文化的環境によってスペクトルが異なるのはそのふたつが異るということの
証左のように思えます。
「赤」以外のものを「黒」というのは多分
私たちが焦茶色の肌の人を「黒人」と表現するようにして
私たちにとっての「青」を「黒」と表現するのではないかと思うのですが、
これはつまり私たちが言うところの「青」が彼らにとってもそのように見えては
いるだろうけれども「青」としては見ていないということだと思います。

ただ、ここで私が考えるべきだったのは「見える」と「見る」とが異なることだ
という前提は普遍なのかということだったと思います。
確か163さんの感性では「情報」は存在だったと思いました。
また人によっては「クオリア」を物質と感じるようです。
多分163さんと私とでは「概念」の概念が微妙に違うのだろうと思います。
私としても「赤」は赤以外の色に対して成立できるものですが、
私のかんじでは見えているだけでは概念化されている印象がありません。
しかしその時点で概念化されているという解釈も
あるいはアリなのかもしれません。

私としては「赤」という言葉と「スペクトル」という言葉とでは
前者の方が歴史的に先に成立しただろうし、
普通の人は前者の方を先に覚えるだろう、
というだけのことを言っているつもりです。