>>475
「確信というのはある種の錯誤」の方が良かった気がします。
これは相変わらずのポーカーゲームでいうと、
ロイヤルストレートフラッシュもブタも、5枚のカードのバリエーション
ということでは同じだということです。
ロイヤルストレートフラッシュは6枚カードが必要になるとか
そういう特別なものではありません。
確信は倒錯のバリエーションのひとつというイメージです。
「1+1=2」は「1+1」と「2」とをすり替えているのであって、
次に予想される「左辺と右辺とは数学的な意味では同じ概念」は
「数学的な意味」と「同じ概念」とをすり替えています。
おそらく以下無限に続きます。

しかしそうは言ってもロイヤルストレートフラッシュは特殊なパターンです。
これは理性的判断も同様です。
何かの意味があるからこそ、むしろまともな人ほど理性的でありたいと思うのでしょう。

ただ、私の勝手な妄想ながら、その意味にはあまり前向なものを感じません。
理性もまた生命の進化の過程で獲得したものだろうと考えますが、
そのプロセスの分析をすると、理性はそれほど崇め立てる価値があるもの
のようには思えなくなる気がします。
あるいは「理性的でありたい」と洗脳されるプロセスも想定されるわけです。

キリスト教では人間は知恵をつけたから楽園を追放されたわけですが
それは本当に卓見だと思います。
>475にただよう悲壮感は他人事ではないと自分を戒めます。