>>61
それはもちろん「色」でしょう。
ただ、この文脈で問題にしているのは「概念化」です。
「色を区別する」ということと「「色」という概念を(恒常的に)もつ」
ということとは別のことではないかという問題です。
たとえば柄谷行人の『日本近代文学の起源』はそのあたりのことを言っている
ように思います。
賛否はあるのかもしれませんけど
「風景を見ている」ということと「「風景」という概念をもつ」ということとは
別のことだと言う考え方です。

私は>>9で「「色」を区別する必要のない環境」に「人工的」という条件をつけましたが、
それはそのような環境が自然に成立するとは思えないためです。
たとえば食事の際に変色しているものを食べてお腹を壊したりすれば
そこで「色」を学習してしまうかもしれません。
私には「色を識別していながら色という概念を学習しない環境」というのが
無責任ながら想像ができません、ゆえの思考実験です。
それでも上手くやればできないことはないという気がします。
普通は感じている感覚のすべてを意識しているわけではない、
たとえば日常的に呼びかけていても気付かないというようなことは普通にあるからです。

ご指摘のように「概念化」には上位の階層が関わるはずです。
ただ、しかし私の勝手な妄想ではありますが、
とにかく概念化は下位から起こり、上位はそれを安定させる(等能性)
というイメージがあります。
「赤」は色々な赤の共通要素として生じ、
色のひとつとして位置づけられることによって安定するというかんじです。