>>960
時計さんが存在するものとして想定している物質は
私の記憶の限りで言うと、時計さんの意識の内側にあるものとのことですが
(そういうことであるならば、それについては異論はありませんけど)、
それに対して私が想定している物質は
すべての意識(人間に限らない)の外側にあるもののことです。
私の「唯心論」という言葉についての理解によると、
そこで想定されている「心」は情緒や信念のようなものではなく、
実体としての物質に対する精神のことです。
この段階で既に間違っているかもしれませんけど、
ただ、世間一般で「唯心論」というと人間の心だけのことが想定されている
という印象があって、故に荒唐無稽とされているのだろうとは思いますが、
とにかく私の場合は違いま違います。
私は視覚能力がある生物なら魚でも虫でも光を見ていると信じていて、
つまりその段階で既に精神が内在されていて、
そしておそらく「光」そのものとは言わないまでも
「光のようなもの(光の前段階)」は生物以前に遡る、
たとえば光子と干渉する素粒子は何らかの精神現象を内在させているのではないだろうか、
とにかく私には素粒子が特定のフォーメーションを組んだり
エネルギー量が臨界を越えると精神が生成される的なことは無い気がするのです。
精神は、認識上、素粒子的なものが生成されたと同時に内在する、
ここでこの例えは違うかもしれませんけど、
コンピューターは思考パターンか何かがどれほど人間に近づいたとしても
いつか意識をそなえることは無い、
精神を内在させているらしきものは始めから内在させていると思うのです。
これはいわゆる「汎心論」とは違うかもしれませんけど、よく知りませんけど、
なお、上記の「素粒子」は、この場合はあくまでも認識上の、
つまり意識の内側にあるもののことです。
人間が持っている「心」というのは、精神現象のバリエーションのひとつ
という解釈です。