物も心も「現れているもの」だとしたとき、
それらはどこに現れているのか、
私としては、そこを「主観」と定義して差し支えが無い気がしています。
つまりあくまでも「定義」です。

ただし、一方の「完全な客観(どこからでもない視点)」が
人間の生み出した虚構であるように、
おそらく、客観とのセットで初めて成立できた
「主観」もある意味での虚構です。