>>311
{{反論}}

【主張】
『出生はギャンブルでは無い』

【根拠】
《親が掛けている説への反論》
◉親は子供の幸せを願うが、子供の幸せを生産する為に出生を行うのではなく、自身らが子供を欲しているから出生を行う。つまり子供が幸せになるか不幸になるかを掛けている訳では無い。

《子供が掛ける事を強いられている説への反論》

◉この世で幸せになるかどうか。という命題を設定した場合、確率論となりギャンブルの様に捉えられるが、「その様な命題を抱えて生きている人間は居ない」。人間は皆『自分の目的を果たす為に日々行動している』から。幸せになる為に目的達成を目指すのではなく、望みを叶える(欲求を満たす)為に達成を目指していると言えば良く分かると思う。
従って、この世で幸せになるかどうか。という命題を抱えていないのでギャンブルでは無い。

◉ここまで読んだ人間のうち、1部の人間はこう思うだろう。『目的を達成出来るかどうかもギャンブルなのではないか?』と。
確かに何も準備せず行き当たりばったりで達成に望むと確率論となりギャンブルとして成立する可能性はある。(例:定期テストに準備せず挑むと赤点を取るかどうかは問題の内容によるギャンブルである)
しかしながら【【人間は行動次第で確率を100%まで上げられる】】
これは目的達成に必要な物事を理解し、それを必要な期限までに全て準備出来たら必ず叶うという事に起因する。
人間はしばしば非論理的な考え方をとり、何をしても達成出来ないと捉えるが、論理的に物事を捉えればそのような事は基本的に無い。

もちろん『期限がある目的』(早咲きのスポーツ等)は、手遅れとなる可能性もあるが、それも当人の行動の結果でしかなく、ギャンブルとは言えない。