つまり、出生を純粋な取引として考えた場合、アンフェアな構造を
有していることが可視化される。取引を一種の「交換様式」として
図式化してみよう

出生は出生者当人の合意や同意、拒否の意向を斟酌することなく
親の意向によって一方的に強制的に遂行されるので、これは出生者に
とっては一種の暴力装置と化してしまうことになるのだ。

つまり出生には双方の自由でフェアな「交換様式」が成立していない。
だからそれは壺と似ているし、壺と同様の反倫理的な内実を帯びる
ことになる。出生後の個々の不幸や障害、厄災はそうした反倫理の
証左、あるいは帰結であるに過ぎない。