たとえば、現在、ウクライナでウクライナ人として存在している人々のことを考えてみよう。
そのウクライナ人が出生をしていなければ、ロシア侵略による惨劇も、国土の荒廃も、
家族や友人、自身の不幸、自国の兵士の死や負傷も、寒さの中、電気も暖も取れない状態も、
すべて体験せずに済んだわけだ。

自身の存在を今クーリングオフできるなら、それを希望するウクライナ人も続出することであろう。
つまり、出生しないこと(無)による苦や不快への防備は、もしそこに意識状態のない無が存在
する場合には完璧な防備になるため、それは天国に住まうような状態と事実上等価になる。

天国とは酒池肉林や欲望をほしいままにすることではない。苦や不快を感じる意識が消えた無と
なる状態こそが至上の天国に近いと形容できる。豪奢な暮らしには飽きや退屈が付きまとうが
それは苦であり、不快であるので、意識状態のある存在は、どう転んでも苦や不快の感受を
回避することはできない。Aという不快を回避しても、Bという新たな不快が発生したりする。
Bを制御すれば、今度はCという苦が発生する。人生とは、そのような悪循環の総体のことを
指す。