>>114
横ですけど、参考になるかどうか、
いずれにしても私の主張とかぶる部分があるのでひとことさせていただきます。
私が聞いた話では時計さんにとって他者の意識の不在は理論的帰結ではなくて
彼が子供の頃からの率直な印象とのことです。
たとえば114さんも仏像に意識があるとは思わないでしょう。
時計さんの場合には仏像と同様に自分以外の人間に意識があるとは感じられないらしいのです。
で、これは時計さんが聞いたら気を悪くするかもしれないことですが、
私は以前、他者に心の内在を感じることができない病気があるということを聞いたことがあります。
ある種のサイコパスでしょうか、しかし時計さんにとっては人間は、
たとえば仏教徒ではない私でさえ仏像を無碍にはできないように、
何か尊いもののように感じるとのことで彼の社会生活にことさらな問題が起こる印象もありません。
彼の世界観は個人差レベルのもののように私には感じられます。

ところで私が一応指摘をしてみたいのは、
まさに他者に意識を感じるのは個人差レベルでの差異があるということで、
それはその人の生い立ちなどの影響を受ける可能性があるということです。
たとえばじつは本当かどうかは知りませんけどヨーロッパ人は人間以外は牛でも鶏でも全部哲学的ゾンビだと思っている と聞いたことがあります。
また、意識受動仮説の人はカブトムシには意識的なものはないだろうと言っていました。
しかし私としては、たとえば昆虫が擬態をするのは映像を知っているからだ
と思えるため、カブトムシにも意識が内在する可能性はあるように思えます。
映像を知らないのに擬態できるなら、それは本当に不思議です。
また一方ではサーモスタットにも意識はあるかもという考え方もあります。
いずれにしても証明はできない問題ですが
みんなでガチャガチャやっているうちに訳のわからない理屈は淘汰され
落ち着くべきところに落ち着くだろうというのが私の見通しです。
もちろん最後に残ったものが正しいという保証はありませんけど、
そうかけ離れたものにはならない気もするところです。