『文學界』2023年2月号では大澤真幸が「総資本」について触れていてさすがだと思った。
『世界史の構造』の方が詳しいが、柄谷は「総資本=国家」という考え方を資本論草稿
から展開して導いている(チカコー257,295,407頁)。

《「総資本」は、個別資本の集合なのではない。それは個別資本とは違って、
労働者の育成・訓練や福祉にも関与する。その意味で、総資本はむしろ国家と
いう形をとってあらわれる。》チカコー407頁

しかし「総資本=国家」という定理はどう考えてもマルクスからは生まれない考え方だ。
昔、大河内一男というマルクス主義者がこれを提示して他のマルクス主義者から批判された。実は種明かしをすると大河内は論敵のドイツ歴史学派から学んでいたのだ。
大河内の本にはリストやゾンバルトの名前がよく出てくる。
こうしたドイツ歴史学派の再評価は今日のMMT界隈に共通する流れだ。
MMTerもケインズだけ読んでいるわけではない。
ちなみに交換様式Bと交換様式Cの違いは、マネタリーベースとマネーストックの
違いに対応する。
交換様式論は信用貨幣論の理解を決定的にする最後の一撃なのだ。
ゴールドを手放さない為に国家は金兌換を停止したと柄谷が述べる時(朝日CCでの講義等)、
柄谷は「総資本」を再定義しつつ商品貨幣論から距離を置いている。
MMTerが述べるように商品貨幣論は信用貨幣論に包括される。
成田悠輔などの亜流にはこれが理解出来ない。