例えば、私の前にリンゴが存在するとする。私は「『リンゴ』という言葉」無しにはこの「リンゴの感じ」を把握することは出来ないだろう。

また、「リンゴの感じ」が無いのだとしたら、「『リンゴ』という言葉」を表象することは出来ないだろう。

つまり、「言語」と「感じ(感覚)」は相互的なものであり、「リンゴの感じ」というものは自己原因的に生じると言えるだろう。(逆についても言える)

また、自らの意識無しには、そもそも言語と感覚の「区別」・「相互性」を思惟することは出来ないだろう。

同様に、言語と感覚の区別と相互性の運動無しにはその運動を思惟していた意識を自覚出来ないことにも繋がる。

つまり、自己意識‐世界と言語‐感覚は自己原因的に生じるものであり、そのように生じるのだと答えられる。

しかし、それらが「いつ生じるか」については答えられないだろう。そもそも相互的な循環において、先は後でもあり、後は先でもあるからだ。