――柄谷さん自身、戦後派の文学者とは実際に交流もあったんですか?

柄谷 僕は彼らに好意を持っていたけど、戦後派の人たちの方も僕に好意を持っていてくれたと思う。
彼らと僕は、ちょうど父親と息子の世代だったんですね。平野謙や埴谷雄高は、僕に対してすごく優しかった。
丸山真男もそう。大西巨人も、武田泰淳もそうでしたね。未亡人になった武田百合子さんが、
泰淳が僕についていろいろ言っていたことを教えてくれた。それに花田清輝も、口が悪くて誰のことでも
ボロクソに言うので怖がられていた人だけど、僕のことは褒めていたらしい。それを聞いたときはうれしかったな。

埴谷さんとは、90年代に2人だけで話したことがある。そのとき、彼から聞いたのは平野謙の話です。
平野さんが、僕が書いた何かを初めて読んで、興奮して電話してきたんだって。面白いやつが出てきた、と。
以前に吉本隆明が出てきたときも、そういう電話をかけてきたそうです。思い返すと、
年齢や所属をこえた交流があったこの時代を懐かしく思います。

――デビュー当時の柄谷さんは、埴谷に対しても結構厳しいですよ。

柄谷 もう何を書いたか忘れたよ(笑)。でも、埴谷さんがそれで怒ったという記憶はない。
しかし、だいたい、無視されるのが一番つらいんですよ。好き放題に書いていたのは、当時、お互いの間に、
文学に対する信頼があったからでしょうね。あの頃、文学というのは、永遠だと思っていた。
作家も批評家もそうだったと思う。1千年先を考えた上で、いま何を書くかということを考えていたんですね。
政治とか科学だけでは捉えられない、文学にしか見えないものを見ようとしていたんじゃないかな。