「人(ひと)」の「ひと(人/一/等/均)しさ」をあらかじめの前提とすることが哲学として「悪しき手法」であることは、単に「ひと(一)つ」、つまり数える「単位」と見做される1でさえ、あらかじめ存在するものとして認め得るものではなく、円周率を数値として表現しようとする近似の裏(うら)として現れる、すなわち、実際に近似により推定されているのは、あらかじめ確定したによって数えられた/計られた円周長ではなく、「単位」とされる1の方であることに思ひ及ぶなら、明白なことなのだが、多くの人々は、このような一見したところ、抽象的な喩に過ぎないように思える記述が、「人(ひと)」の「ひと(人/一/等/均)しさ」とどのような関係があるのか、うまく言語化して捉へることができない。