似非数学的な喩を用ゐて、事象αについて「〜を掛け値なし("by one")に知る/云う」こと/»bekennen«/"to acknwoledge"/"to confess"/"ὁμολογέω"を表現しようとするなら、次のとおりとなるだろう。

「事象αを掛け値なし("by one")に知る/云ふ」=lim[x→1] (-1)^(|log(x)±log(α)|/(iπ))=(-1)^(|0±log(α)|/(iπ))=e^(|±log(α|)=「あ(或/有/存)りのままの事象α」=「存在者として認められる事象α」

ここで、lim[x→1] (-1)^(|log(x)±log(α)|/(iπ))=(-1)^(|0±log(α)|/(iπ))において(-1)^(0/(iπ))=e^0=1となるものとされるのが、「臨在」としての「人(ひと)」であるわけだが、上記の似非数学的な喩を逆に見て、「事象αが存在者としてあらかじめ認められるべきこと」を前提とするなら、「人(ひと)」は、「臨在」として「存在者」の陰に隠れるのではなく、「存在者としての人(ひと)」の「特性」である「ひと(人/一/等/均)しさ」が、無化されるべきものと見做されることになる、つまり、禁欲主義的なニヒリズムが導き出されるのを見てとることができるだろう。