サンカに関する最初の学術調査と呼べるのは、柳田國男の調査である。彼は、『人類学雑誌』に
『「イタカ」及び「サンカ」』と題された文章を1911年(明治44年)から1912年(明治45年)にかけて寄稿
している。大垣警察署長であった広瀬寿太郎の聞き書きとして、ブリウチ セブリ ジリョウジ
(なお南方熊楠の書簡に寄れば、呪療師の意かという)アガリの実態を柳田の実体験をまじえて
記述している。

サンカは、柳田や喜田貞吉による大正期のもっぱら推論によってなされた問題提起、三角と同じく
新聞記者であった鷹野弥三郎の取材記事以後、昭和に入ってからの後藤興善の『又鬼と山窩』(1940年)
がみられる程度で、研究対象としてはほとんど顧みられていない。柳田も仮説の段階で研究を放棄しているが
有名な柳田が研究していた事自体を誇大宣伝し自説の根拠とする人間もいる。


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