哲学というのは、「なぜ?」という問いの定立の仕方であり、一般的な
答えを提供したり、解の収束を志向するものではない。だから、ここの
無職AIコピペ荒らしのようなタイプの一般情報や知識を鵜呑みする
モルモットには全く向いていない、哲学の適正が皆無だと言えるだろう。

デカルトは「我思うゆえに我あり」であるが、哲学や仏教は我、あるいは
自我の存在を疑うだけでなく、水槽脳などの思考実験にあるように、我々の
眼前に広がる外界そのものを虚構が作るハルシネーションではないか、と
懐疑することさえ出来るものなのだ。

よって、哲学は一般的な情報や知識、科学の体系などを無批判に鵜呑みに
するような思考停止型の人間(馬鹿)には全く向いていない。むしろ、一般性に
潜むバグや欠陥を新たな問いという形で照射していくのが哲学の使命である。