gorohidaーlj

5つ星のうち5.0

預言者は行動する

2011年10月28日に日本でレビュー済み

預言者というのは予言者とは全く異なる。不都合なことに発音が同じで漢字も似ているので、両者の違いを意識する機会が日本人には限られてしまっている気がする。これは不運としか言いようがない。この書の次のような指摘を読むとやはり驚いてしまうのだから。

〈一般に、ユダヤに始る宗教は預言者によるもので、アジアの宗教はそうでないといわれます。しかし、ウエーバーは、ブッダや老子、孔子なども預言者だ、というのです。
 彼は預言者を、倫理的預言者と模範的預言者の二つに分けました。前者の場合、預言者は旧約聖書の預言者やイエスあるいはムハンマドのように、神の委託を受けてその意志を告知する媒介者です。後者の場合、預言者は模範的な人間であり、自らの範例を通して他の人々に宗教的な救いへの道を指し示す。つまり、ウェーバーは、通常預言者と見なされていない思想家を預言者と見なすことによって、従来の世界宗教の区分を廃棄したのです。〉(第1部 II 哲学の起源)

 だが、この引用に続く部分には驚くだけではすまされない。まったく新しい考えが初めて提唱され、承認を迫っているのだから。自分は説得されてしまった。

〈同様に、私は普遍宗教と哲学の区別を廃棄すべきと思います。たとえば、ブッダや老子、孔子などはもともと宗教家ではありません。彼らは、インドや中国の、多くの都市国家が林立する中で活動した自由思想家なのです。それは古代ギリシアにおいて、数多くの都市国家から出てきた自由思想家と共通しており、しかも同時代的である。後にブッダは仏教、老子は道教、孔子は儒教の教祖と見なされていますが、彼らはギリシアにおいて「思想家」と呼ばれた人たちと、そんなに違いません。〉(同上)

 予言者は知的に優れているのかもしれないが、自ら行動する者ではない。(競馬の予想師と同じ感じだ)しかし哲学者は、そのような者たちではない。ソクラテスがダイモンの声に従ったように、なんらかの〈委託を受けてその意志を告知する媒介者〉、すなわち預言者なのだ。今、デモに参加する人々、被災地に赴くボランティアの人々は、やはり預言者なのではないかという気がする。世の中が、世界が流動的になってきているという予感があるが、これは予言者には預かり知らぬことだろう。