よくわからんが、東浩紀の「郵便的」というのは、
「否定神学的」を超えたものとして提示されたのではないのか。
これは「ライプニッツ症候群」はダメだから、「複雑系」みたいなのでいきましょう、
というような、当時ありがちだった、「誤配」でなく、力学系理論についての「誤解」にもとづく発想だった気がする。