たとえば、本を読むことも読者と本の間の交通である。今日、選挙へ行って共産党に入れてきたが、そういう投票行為も政治的な交通である。その帰り道に親切な女性から声をかけられたのだが、それも心情の交通である。スマホからのこの書き込みは、文字の交通である

このように隠喩哲学では無限に言語を曖昧に使用出来るので、基本的にどんなことでも言えてしまうのであり、それは哲学的な真を保証するどころか、真のありかを不透明、不鮮明にしてしまうのである