>>952
正義や倫理は個人にとっては大切な価値観の一つであるし、動物的な衝動をそういった規範によって御すという姿勢はある種人間的であるとも言えると思います。
しかし、そうした哲学をある団体の行動の規範とするならば、その意思決定プロセスは客観的に、少なくともその団体の成員にとって客観的に”正しい”ものである必要があります。私が指摘したいのはその正しさの担保の難しさです。個人による行動ならばその判断は主観的なもので十分ですが、数学的な評価でもできない限り客観的な正しさという合意を得ることは非常に難しいと思われます。

ローティの主張と照らし合わせると、仮に”戦争は残酷であるからしてはいけない”という主張に対して合意が得られなければ、戦争を行うことも規制することも結局個人の抱くイデオロギーに従って動いていることになり、そこにはローティの主張する共通の悪という概念も存在し得ないと思います。

また、両立し得ないことの解消の道具として正義を論ずるという姿勢に対する私の反論ですが、そこで語られる正義によって対立する双方の立場の人間が納得されない限り、その姿勢は端的に無意味であるように思われます。単純な理由ですが、結局対立は解消されず、争いはなくなっていないからです。