仏教が大きく変化した時節というのを挙げるとすれば、まず釈尊の入滅
釈尊は対機説法だったが、新しい説法は語られなくなり、教団は仏弟子のみで構成されることになった、ここ重要
後継者も残していかなかったため、過去のある状況の誰かのために語られた物語を口承で残していく口伝仏教が生まれ、解釈違いで好き勝手に分裂していった
次の変化は、部派仏教の中の修行完成者たちが大乗経典を産み出したこと、それを龍樹や世親がまとめていったこと
維摩経なんか、機に合わなければ菩薩の法でも意味は無いんだと既存仏教に喧嘩売ってるんだよね
その時点での既存仏教が呪文化、神言化、なんか言ってる人いるけど「物語化」していたことを物語っている、つまり形骸化やんね
釈尊の法は全て対機説法である、なら釈尊滅後の仏法はどうあらねばならないのか、今現在説法している仏に遭うということはどういうことか、ということで菩薩十地、三帰依や五念門ということが言われ始めたのもこの時代
また文字よりも意味に注目されるようになったため、経論釈は各国語に翻訳されるようになった、巻末には「この説を口伝せよ」じゃなくて「この説を書き写せ」って書いてあんだよね
口伝仏教は語族の減少、消滅とその運命を共にすることになったが、大乗経典は様々な国に伝播することができた
その次の地味な変化として、ガンダーラでギリシャ哲学と出会ったことを挙げたい
仏や仏典を文字や絵像・仏像レリーフ、また絵解きの仏典として残すことが可能になった
月指の教えが象徴的ですね
、釈尊は指、言説で月、法を指し示すが、誰も月を観ようとしないってやつ
仏法を示す月、それを示す経典、仏像レリーフや絵解きの経典の関係をいわば「イデア」と「ロゴス」に切り分けることが可能となった、これは大きい
如来、タターガタ、法性法身の仏と文字や絵、像で表された方便法身の仏は別物だ、というのが特に曇鸞以降の仏教では自然で当たり前、日本のこれまでの仏教文化から切り離されてた人が仏像を偶像だと思ってんだよ