サムエル記I 15章11節(前半)
「わたし(主)はサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしの言葉を守らなかったからだ。」

29節
(サムエルがサウルに言った言葉)実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」

35節
サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。

サムエルがイスラエルの栄光である方(おそらく主なる神を指す)について「悔いることが(も)ない」と断言したのは誤りではないの?
「悔いる」と和訳されるヘブライ語の動詞が違うの?