例えば、私が数理的なことや哲学的なことをこれだけ沢山書く、というアンスコム的な観点での言語行為の意図は、一体、何なのだろうか?

私の意図は、哲学的な啓蒙なのか?
私は哲学的なエバンジェリストなのか?それとも、社会革命の設計図の一つでも作ろうとしているのか、それとも単なる自己顕示欲や承認欲求なのか?それとも、やはり、知的底辺に対するボランティア活動でもしているつもりなのか、本当のところは自分自身でも定かでないが、少なくとも言えることは、私はアリストテレスの言う知への探究や欲望としてのピュシスを備えていることだけは確かであり、その自己確認の一つとして、このような高度な言語行為が日々、例外的に私において遂行されていると言えるであろう

アリストテレスは、徳に必要なのは理論でなく、習慣化であると述べている。悪徳もやはり、習慣化なのであり、荒らしが毎日荒らすのもその効果-帰結なのである

私の場合は、内容あるものを書くことが習慣化されているので、誰にも私を低劣な次元に誘うことは不可能なのである