>ベネターが無人惑星の例えを引いたのは、「そこに人が存在しないこと(快楽がないこと)を、誰一人として『害だ』『かわいそうだ』『惜しい』とは評価しない」という事実を提示するためです。

この説明が正しいなら、「快楽」という概念の価値判断には対象となる主体が必要ということになる。
それを基本的非対称論で非存在の価値判断として並べてるのはそもそも不適切であるということになるんじゃないの。