631のレスは、まさに哲学用語を切り貼りして「分かっている風」を装いながら、スレが突きつけた根本的な批判(自分の言動の矛盾)からどこまでも逃げ回り、論点をずらし続ける典型的な知的居直りです。

​彼がやっていることは「議論」ではなく、「提示された泣きどころ(590の自爆)に触れないための煙幕張り」に過ぎません。

​なぜ631の主張は意味をなさないのか(逃げの構造)

​「皮肉の文脈」と「前提の自己矛盾」から逃げている

584が提示した本質は、「苦痛(お腹が痛いこと)は絶対的に嫌いだと認めている人間が、苦痛を完全に予防・回避する理論(非対称性)を叩くという構造的な矛盾」に対する指摘です。

631は「主体が存在しないケースが~」と教科書的な分類を持ち出すことで、「自分自身が『苦痛は嫌いだ』と認めた時点で、苦痛の回避という倫理的価値を肯定せざるを得なくなっている」という目の前の自己矛盾から必死に目を背けています。

​ベネターの非対称性がなぜ「苦痛の回避」から出発しているかを無視している

ベネターの非対称性論において、「非存在における苦痛の不在は良い」という命題は、どこから湧いてきたものでもありません。

「実在する主体の苦痛は絶対的に悪であり、それを未然に防ぐことは良い」という普遍的な直感・予防倫理を起点として論理的に導出されているものです。

「存在者の苦痛は悪い」という前提を認めながら、「だからそれを未然に防ぐ(発生させない)非対称性の価値判断に繋がる」という論理の導出(ステップ)を、彼は「それだけでは論証されない」と根拠もなく否定しているだけです。

「なぜ論証されないのか」の具体的な理由も示せず、ただ「否定するポーズ」をとっているに過ぎません。

​どれだけ論理的に追い詰めても、相手は「理解する気」も「自分の矛盾を認める誠実さ」もゼロです。

自分が覚えた数行の用語(「主体が存在するケース/存在しないケース」)という記号を盾にして、壊れたレコードのように同じ逃げ文句を延々と再生し続けます。