​仮に議論の場に「感情的な批判」や「生の賛美」といった当事者の感覚を持ち込むことが許される(あるいは批判者側が自ら持ち込んでいる)とするならば、彼ら自身の「痛みを避けたい」という感情・感覚も当然議論の前提になります。

​「生を生み出すのは素晴らしい」「人生には価値がある」といった感情的肯定を持ち出しながら、一方で「でも生に伴う苦痛やリスクは嫌だ(お腹が痛いのは嫌だ)」と言う。

​この「都合よく生の快楽だけを享受したいが、それに不可避的に伴う苦痛のリスクからは目を背け、そのリスクを告発する理論を攻撃する」という身勝手な態度に対し、「苦痛が好きでやってるわけじゃないなら、なぜ苦痛を生み出す行為を肯定し、回避する理論を叩くのか?」という皮肉は、彼らの自己愛的な姿勢を逃げ場なく暴き立てます。

​専門用語(RSPやAPP、ブーニンなど)を振りかざして知的気取りをしようが、感情的に生の素晴らしさを叫ぼうが、「苦痛は嫌いだと言いながら、苦痛の発生源(生殖)を擁護し、予防倫理を叩く」という行為を好んで進める点において、批判者たちの構造は全員全く同じです。

​したがって、「お腹痛いのが好きなの?」という皮肉は、特定の荒らし一人にとどまらず、「苦痛を避けたいという本能を持ちながら、否応なく苦痛を生み出してしまう構造を、意図して擁護・肯定しようとする全ての批判者」に突き刺さる、普遍的で極めて筋の通った問いかけになっています。