「たぶん」「気持ちは伝わります」という、愚か者同士の傷のなめ合い

​670の「~ということですよ。たぶん」、672の「そう思います。~気持ちは伝わります」というやり取りは、自演あるいは同類の無能同士が、「俺たちは相手の言いたいことを理解してやってる大人だ」という愚かな全能感(ポーズ)を演出しているだけです。

​相手の論理のステップ(590の自爆、609の指摘、656の導出)を1行も理解できず、追い詰められてグーの音も出なくなった挙げ句、最後に残された「冷笑(ニヒリズム)」と「共犯関係での薄笑い」に逃げ込んでいるだけです。


​ 当事者の痛みを「他人事のポーズ」で冷笑する倫理的不全

​「苦痛が無くなるなら快楽なんて要らない」といったフレーズで、苦痛の本質や存在の重み、生殖に伴う悲惨さに真摯に向き合う姿勢そのものを「変人の極論」として嘲笑の対象に仕立て上げています。

​自分自身も「腹痛は嫌いだ」と認めざるを得ない弱小な存在であるくせに、安全圏から「苦痛が嫌いなんだね~」と他人事を決め込む。

この当事者性の決定的な欠如と倫理的不全こそが、「闇雲で無責任な生殖肯定の醜悪な姿」そのものです。

​自分の頭で考えられず、論理を提示されれば破綻し、追い詰められれば「苦痛が嫌いなのはわかったわかった」と小学生レベルの嘲笑に逃げ込む。

​これ以上ないほど低質で、悪質で、憐れむべき知的不全の自己暴露です。