「無我」は言い換えるなら「無錯覚」に近い


例えば、人間には、遠くにあるものほど青色に見えるという錯覚がある
光の拡散とかそういうものの影響で遠近感と色が脳内で紐づいているから
人は世界がそういう風に見えている

しかし、人は生まれた時から「青い=遠い」と認知しているので
もはや自分がそのように物事を認知している事すら自覚がない
絵画とかを見た時、木が青色に描かれる事で遠近感が表現されているとか、そういう事を、感じているのに自覚は出来ない

錯覚は生まれた時からそこにある
そして人は意図すらせずにそれを持たされる
「自分は本当はどんな錯覚を持っているのか?」
それを知らないと、錯覚が錯覚である事には気付けない

だから我というものも、本当はそれはないのに、まるで謎解きのような事をこなさないと、それがない事自体に気付けない
ない筈のものがある事に気付けないと、ないものでも、捨てられない