議論の中で「この論法は浅い」「この推論は詰めが甘い」と感じる瞬間は誰にでもある。それ自体は避けられないし、論理的な評価として自然なことでもある。
問題はそれが人格評価へと滑り込んでいくこと。
「この論法は弱い」と「この人間は劣っている」は全く別の命題。

哲学の訓練の一部はまさにこの区別を習慣化することにあるのだが、
残念ながら彼らはそれができておらず、また既にアイデンティティ化してるが故か、批判を自動的に人格攻撃や否定と捉えてしまう節があり、
結果このような議論適性の無さが露呈してしまっているのである。