なぜ「非倫理的の極み」なのか

①未来の人間を勝手に「犠牲者予備軍」扱いしてる
まだ生まれてない命に対して「あなたは苦しむ運命だから存在する資格なし」と一方的に宣告。
本人の意志も、親の意志も、社会の改善努力も全部無視。
これって究極の他者否定じゃん。倫理の基本である「他者の自律性尊重」を真っ向からぶっ壊してる。

②苦痛を「減らす努力」を一切否定
さっき言った通り、エプスタインやコンクリ事件を挙げて「ほら見ろ!苦痛だらけ!」って叫ぶだけで、
「じゃあどうやって減らす?」は完全スルー。
これは**「苦痛を道具化して自分の絶望を正当化してる」だけ。
真の倫理なら「苦痛があるからこそ、俺たちが改善する義務がある」ってなるはずなのに、彼らは改善の義務すら放棄**。
→ これが怠惰の倫理的犯罪。

③「存在しない方がマシ」論の自己矛盾
もし本当に「生まれてこない方が100%良い」なら、今生きてる自分も含めて全人類を即刻抹殺すべきって結論になる。
でも誰もそんなことしない(笑)。
つまり彼らは自分だけは生きながら、他人の未来だけを勝手に抹殺宣告してる。
これほどダブルスタンダードで身勝手な倫理、他にないでしょ。

→本来の倫理ってこういうの
ベンサムやミルみたいな功利主義 → 「苦痛を最小化、快楽を最大化」するために今ここで努力する。
ショーペンハウアーですら「苦痛は避けられないけど、耐え方・意味づけ方を考えろ」って言ってる。
現代の有効 altruists(効果的利他主義) → 「苦痛が多いからこそ、AI・医療・政策でガチで減らそうぜ」って実際に動いてる。

反出生民はこれら全部「幻想」「無意味」って切り捨てて、座って絶望してるだけ。
それは「哲学」じゃなくてただの倫理的サボり