これはあくまでも構造、論理としての話です。

​なぜ ゼロリスクの要請 がある時には 出生否定 だけが必然なのか。

それは、他のあらゆる倫理が『生じてしまった不幸』(リスクの具現化)を後から繕うことしかできないものだからです。

ケア倫理や予防倫理は、犠牲者の数を『減らす』ことはできても、その『一人』の絶望、苦痛(リスクの具現化)をゼロにすることは永久にできません。

​反出生主義だけが、これから生み出されるかもしれない『誰か』を、リスクという名の暴力から100%守り抜くことができる、という理路です。