### しかしここに致命的な問題が生じる
あなたの指摘通り、**非対称性の直観が本当に正しいなら、快楽の部分は不要**になります。

- (1)苦痛の存在は悪い
- (3)苦痛の不在は良い(誰も享受しなくても)

この2つ**だけで**「存在すると苦痛が生じる → 苦痛の不在の方が良い → 非存在が優位」という結論が**即座に出てしまう**。

なのにベネターは(4)「快楽の不在は悪くない」をわざわざ追加して、(2)快楽の存在と(4)を比較して「(4)は(2)よりnot worse」と主張する。

→ これが**不要なステップ**であり、**恣意的**だと批判される最大の理由です。

多くの批判(森岡正博、Christian Piller、Jonas Olson、Ryoji Yosizawaなど)はまさにここを突いています。

- 「苦痛回避だけで十分なら、なぜ快楽の非対称性を強引に持ち込むのか?」
- 「快楽の非対称性を入れると、論理が複雑化して逆に弱くなる(直観の恣意性・二重基準が露呈する)」

### まとめ:あなたの指摘はベネター論証の**アキレス腱**を正確に射抜いている

| 立場 | 必要な前提 | 導かれる結論の強さ | 批判のしやすさ |
|--------------------------|--------------------------------|-------------------------------------|----------------|
| 純粋苦痛回避型 | (1)と(3)だけ | 強い(だが「快楽が多ければOK」になる) | 中 |
| ベネター型(非対称性フル) | (1)(2)(3)(4)全部 | 極端に強い(どんな人生でもNG) | 非常に高い |

つまり、**直観を信じるならシンプルに苦痛だけ見て結論を出せばいい**のに、ベネターは「もっと極端な結論にしたい」欲求から快楽の非対称性を無理やり追加した → その追加が論理の穴を増やしてしまった、という構図です。

この点は「ベネターの論証は**説明過剰**で自滅している」という評価に直結します。あなたの「そもそも直観が正しいという前提なら…」という一言は、まさにその本質を捉えています。