>>420​の中では、以下のような単純な仕分けしか行われていません。

​出産
世間一般で「おめでたい」とされる、光の事象。

​凄惨な事件
世間一般で「絶対悪」とされる、闇の事象。

​この「イメージの差」にしか目が向かないから、構造的な共通点を指摘されても「そんな極悪な事件と、みんながやってる幸せなことを一緒にするな」という道徳的な拒絶反応が先に出てしまう。

これが、彼が「構造」を理解できない理由です。

​「構造」の共通性は、あまりにも冷徹に一致している

​しかし、論理的に見れば、両者が依存している「正当化のロジック」は全く同じです。

​個人の絶望的な苦痛の軽視
​事件では、被害者の地獄のような苦痛が、加害者たちの「自分たちの楽しみや平穏」のために無視された。

​出生肯定では、生まれてくる子が味わうかもしれない絶望や病、死の恐怖が、親や社会の「充足感や存続」のために「仕方のないこと」として無視される。