440は、「多くの人が同意する(常識的な倫理観)」ことを論理の前提に置いています。

しかし、これは典型的な「衆人に訴える論証(多数派が正しいと思い込む誤謬)」です。

​歴史の教訓
かつては「奴隷制」も「女性に参政権を与えないこと」も「常識的な倫理観」として多くの人々が同意していました。
しかし、それらが構造的な暴力であった事実は変わりません。

​構造の否定になっていない
「世間が悪だと思っているかどうか」と「その行為がどのような構造(個人の犠牲の上に成り立つ空気)で行われているか」は、全く別の話です。
彼はこの二つのレイヤーを区別できていません。