「明確な悪」という言葉で思考停止している

​440は、「出生は明確な悪とは言い難い」から構造が異なると主張していますが、これこそがまさに「隠蔽の論理」そのものです。

​被害者の視点の欠如
「明確な悪」かどうかを判定しているのは、常に「安全な場所にいる多数派」です。

​構造の同一性
凄惨な事件においても、その「内輪の空気」の中では、加害行為は「明確な悪」として処理されず、「遊び」や「教育」として正当化されていました。

​私が指摘しているのは「社会がそれを善と呼ぼうが悪と呼ぼうが、『同意のない他者に、取り返しのつかないリスクを背負わせる』という設計図は共通している」という点です。

>>440は、この「設計図」の話を、必死に「完成品の色(評価)」の話にすり替えて逃げています。