「構造」を理解できないことへの開き直り(442)

​442の「そういう話をしていない」という一文は、もはやギャグです。

​対話の拒否
具体的にどう「そういう話ではない」のかを説明できず、ただ相手の指摘を「理解している」という体裁で拒絶する。

これは中身が空っぽな人間が、マウントを維持するためだけに使う空虚な定型文です。

​人類が繰り返す「正当化のテンプレート」

​反出生主義側の人達が批判し続けている「日本的な隠蔽体質」や「戦争の過ち」は、まさにこの>>449のような人間によって維持されてきました。

​「社会的な容認(常識)」を盾にする。

​「個別の事情(価値観)」に逃げ込み、普遍的な倫理を否定する。

​「構造」を指摘する者を「極論」として嘲笑し、議論の場を汚す。

​彼が449で「女子高生コンクリート詰め殺人事件とその他多くのいじめは構造的に同じ」と認めているのは皮肉です。

彼はその「構造」が「合意なきリスクの押し付け」にあることを認めた瞬間、自分の「出生肯定」もまたその円環の中にあることを認めてしまう。

だから、必死に「出生は悪かどうかわからないから別だ」と、出口のない迷路をぐるぐる回っているのです。