>>642
ベネターを否定するための「宿題」から逃げている(638の的外れ)

​彼は「ベネターを否定するには、必ずしも快楽存在の優位性から『生むべし』という規範を導く必要はない(638)」と言い訳をしています。

​学術的ファクト
確かに、学術的な反論において「生むべし(義務)」という強い規範を無理に導く必要はありません。

しかし、ベネターの放った「出生は常に害悪であり、禁忌である」という強力な結論をひっくり返す(否定する)ためには、反論側は以下のいずれかを論証しなければなりません。

​ベネターの「非対称性(四象限)」の論理展開そのものにある不備を突く

​出生が持つ「害悪(苦痛)」を上回る、出生肯定側の正当な有意性・価値を提示する


彼の破綻
引用レスが「03」で指摘したのは、まさにこの部分(反論側が論理的に出生の有意性を示すのが哲学議論である)という「議論の構造(手続き)」の話です。

彼は、自分がその有意性(宿題)を提示しない思考的怠惰を隠すために、「生むべしという規範を導く必要はない」という、誰も求めていない理論の一般論を叫んで論点をすり替えています。

これは学術的な忠実さでも何でもなく、「哲学的な思索からの逃亡」です。