>>666
「出生」だけを聖域化する、実存二分論(647, 650)

​彼は「『通行人をいきなり殴る』などは実存レベルの倫理(650)」であり、出生はそれとは違うから「ごくノーマルな倫理規範ではない(647)」と言い張っています。

​ここが彼らの「出生と存在を盲信・自明視する無自覚さ」の極みです。

​欺瞞の暴露
「通行人をいきなり殴る」ことが悪とされるのは、なぜでしょうか。

それは、「相手に同意なく、無用な苦痛と害悪を一方的に与える行為だから」です。

では、出生はどうでしょうか。

まだ存在していない(同意を与えることも拒否することもできない)存在を、100%の確率で病苦や老い、精神的絶望、そして最終的な死が待ち受けるこの世界に、親の側の都合(資源化、労働力、自己満足)で一方的に引きずり出す行為です。

「無用な苦痛を一方的に与えてはならない」という物差し(危害原則)を、通行人には適用するのに、なぜか「出生」にだけは適用させない。

これこそが、「出生だけを予め特別扱いする、極めてオリジナルでご都合主義な免責(倫理)スケール」となっています。

(660)が明示している通り、反出生主義はオリジナルな倫理スケールではありません。

日常の「実存レベルの倫理(他者を傷つけてはならない)」を、出生という事象に対しても一貫して誠実に適用しているだけです。

特別ルールを作っているのは、最初から最後まで、反出生主義を否定することだけが目的になっている人々の側です。