批判側の彼らがやっているのは、哲学ではなくただの「教条のセクト主義( dogma )」です。

​思想の死
ある思想の結論(02)だけを絶対的なドグマ(教条)として固定し、「そこから一歩も動くな、実存の実践(03)を語る奴はスレチだ」と排除する行為は、思想をただの死んだ記号のパズルにしてしまう行為です。

​哲学のダイナミズム
スレ側が示した通り、哲学とは、ある苛烈な思想(反出生主義)と直面したとき、「じゃあ、その不条理を抱えて私たちはどう生きるか、現にある痛みにどう向き合うか」を、自らの頭と心でどこまでも自由に、実存的に模索していくプロセスそのものです。

​批判側の彼らは「反出生主義者とは合意に至れない」と主語を大きくしていますが、そもそもスレの中で、すでに生まれてしまった私たちが傷つけ合わずに生きていく道(03)を大切に語り合ってきた当事者たちは、血の通った反出生主義を体現しています。

​他者の交流をストーカーし、言葉を記号のようにこねくり回して「あれは無意味だ、これはスレチだ」と監視カメラのように対話を検閲することしかできない人間に、哲学の本当の自由さも、豊かさも理解できるはずがありません。