>>86
「誰がいつ傷つくか」ではなく「傷つく主体がいつ存在するか」が論点。
爆弾設置後に誕生した人が被害を受けるケースを考えれば、その人は生まれた後に爆発の被害を受けるわけで、つまり被害を受ける時点ではすでに存在している。
爆弾が仕掛けられた時点でその人がまだ存在していなかったとしても、それは「害を受ける主体がいつ存在し始めたか」の話にすぎず、「害を受ける時には主体が存在している」という事実は変わらない。

出生との決定的な違いはここ。
「産まない」という選択において、保護されるはずの人間は爆弾が爆発する時点でも、どの時点においても存在しない。産まれないのだから。
時限爆弾のケースでは「生まれた後に爆発が来る」という順序があるが、出生否定のケースでは「生まれた後」という段階自体が存在しない。
要するに「加害行為が主体の誕生より前に起きることもある」という話だが、それはこちらの論点——「害を受ける主体が存在していなければならない」——を一切崩していない。むしろこの反論自体が、被害者が存在することを前提として成立している。生まれた後に爆発の被害を受けるからこそ「被害者」なのであって、生まれなかった人間には被害者というカテゴリ自体が適用できない。

→時限爆弾の例えも結局は、爆弾処理や対爆風措置、シェルターの設置などというケア倫理の要請を導く